アイヌ・アート

〜なぜ、「アイヌ・アート」なのか〜  池田 忍

これまで日本美術史、視覚表象研究をおこなってきた私の前に、現代の「アイヌ・アート」は、実に多面的な魅力、輝きを放つ表現として立ち現れました。同時に、それは「日本」「美術」といった既存の枠組を前提にしてきた私の美術観、造形表現の見方や考え方を強く揺さぶったのです。

北海道 音威子府村 北海道大学演習林内
ビッキの木(アカエゾ松)

北海道 音威子府村
「エコミュージアムおさしまセンターセンター 
アトリエ3モア」前 音威子府タワー(砂澤ビッキ作)

アイヌ民族の手仕事は、素材や技法、形態、文様などの変化を伴いながら、近世から近代、そして現代へと伝承されています。そして、先学が明らかにする通り、アイヌ文化には、現在の「国境」を越えて展開してきた歴史がありました。ところが近代日本の美術制度は、アイヌ民族の手仕事を、文脈に応じて、時に既存のカテゴリーから排除し、時にそこに包摂することでカテゴリーを拡充し、制度の維持、強化をはかってきました。日本美術史の通史に取り上げられることはなく、他方で「芸術」、「工芸」、「民芸」、「手工」、「手芸」、「土産物」といった既存のジャンルと概念にかかわる言葉(用語)を用い、アイヌ民族の手仕事は、分類・分断、評価され、語られてきたのです。アイヌ民族は、このような近代の日本社会に成立した文化の枠組みの内側で、手仕事、造形表現の可能性を探究することを余儀なくされました。しかし、その制作活動を検証するならば、美術の制度を作り、運用してきたマジョリティによる分類や評価を無効にするような試みが、無数に存在することに気づきます。また過去の、そして今も各地で生み出されるアイヌ民族による造形表現には、横溢する個性と、継承し共有する技法や文様への強い愛着や敬意を感じ取ることができます。
アイヌ民族による造形表現の試みを「アイヌ・アート」と呼ぶのは、既存のジャンルに挑戦しながら制作、発信する人々の発想や活動への関心を喚起し、その魅力を共有する場を広げたいと考えるからに他なりません。それは、変えるにはあまりにも堅固に見える美術の制度や規範を揺さぶるものなのです。

研究プロジェクト:「アイヌ・アートの現在に見る「伝統」とジェンダー」について

目下、科研費の助成を得て進めている研究プロジェクトがあります(H25~27年度)。
ここではまず、アイヌ民族の衣文化にかかわる糸と布を用いた手仕事、そして木彫を中心に、「アイヌ・アート」の担い手と享受者の双方による「伝統」の解釈の歴史、伝承活動の実践の再検討を課題としました。その際、「女の手仕事」としての針仕事、「男の手仕事」としての木彫というカテゴリーが、対比的に提示され、歴史を踏まえたアイヌ社会の理解に結びつけられてきたことに着目します。確かに、性別分業によって支えられる日々の営みは、かけがいのない記憶として継承され、アイヌ民族のアイデンティティの拠り所となってきたことでしょう。しかしそのカテゴリーは、果たして性に応じて「自然」に生まれ、変わることなく継承されてきたのでしょうか。性別に応じた手仕事に対する評価は、少なくとも近代社会においては経済力の格差を生み出し、また家庭内にとどまらず共同体の実践や決定に影響を与えてきたと考えられます。とりわけ近年には、アイヌ文化の担い手として、女性たちの存在が重みを増し、その活躍は一層顕著になってきたようです。そこでジェンダーを切り口に、アイヌ文化の変容過程の検討を試みることにしました。
また、このプロジェクトでは、関東在住のアイヌの人々と和人の賛同者、そして北海道に拠点を持つ仲間が加わって、アートや映像作品の制作・上映、笹葺きのチセ作り、ムックリ演奏や演劇ワークショップといった活動を展開する「ハポネタイ」(母なる森)のメンバーと協働しています。ハポネタイのメンバーは、異なる背景、仕事を持ちながら、北海道の十勝清水で夏のアート展を5年にわたり開催し、都内、神奈川や埼玉でも活動を展開しています。アイヌの音楽や言語による表現活動と交差し、自然の恵みの利用方法を学び、海外の先住民族との交流を深めるといったハポネタイのメンバーそれぞれの活動を窓/扉として、私は、アイヌ文化の復興と発展に取り組む多くの個人やグループに出会いました。

十勝清水「ハポネタイ」(母なる森)アート展、展示会場風景
20130916 撮影池田忍

十勝清水「ハポネタイ」(母なる森)アート展、展示会場風景とハポネタイ副代表恵原詩乃さん
2013年9月16日 撮影池田忍

十勝清水「ハポネタイ」(母なる森)チセ作り材料準備中
2013年9月16日 撮影池田忍

また本科研では、北海道立近代美術館の学芸員、アイヌ文化の継承と発信地として知られる平取町の職員といった方々にも協働をお願いしています。私たちは、アイヌ文化にかかわる日本政府の政策、継続的な取り組みを続けてきた自治体や諸機関の動向に注意を払いつつも、個人や比較的小規模なグループ相互の連携に可能性を感じています。さらに、日本や世界の各地で、ともすると「伝統」の枠に閉じ込められがちな地域文化の変容と創造に関心を抱く人々と問題意識を共有することで、先住民族を内包する日本の在りかたを模索していこうと考えています。こうした活動を通じて、「アイヌ・アート」の歴史的な理解を深め、変化のプロセスを検証し、その未来を創る過程に参画し続けることが、本研究プロジェクトの大きな目標です。